安倍元首相銃撃事件裁判
奈良市でペットシッターをしております、ガジュマルSitterの辻井です。
10月28日から始まっております、裁判員裁判。初公判から14回が終わり、12月18日に結審、論告求刑まで来ました。
事件直後から、衝撃が走り早3年。何かに突き動かされてしまい…今回また再燃した今回の事件。
そんな私…今回の初公判からありがたいことにお仕事があり、なかなか傍聴券を求めに行くことができませんでしたが、12月3日と12月4日に行って参りました。
3日は傍聴券が約10倍の確率…4日は14倍…
どちらも外れてしまったのですが、山上被告を乗せた護送車を2日間に渡り見送ることができました。
今回の裁判では、感情がすごく揺れるもので、友達は傍聴に2回、もう1人は1回当たったので、3日と4日はその傍聴された方のお話をお聞きし、統一教会2世として生まれた『神の子』の存在の人の話を聞くことができたりと収穫の多い2日間でございました。
鈴木エイトさんともお話しまして、本にサインをしていただき…仲良くお話もさせていただき、本当にありがたい限りの2日間。
他のジャーナリストの方とも名刺交換し、お話をさせて頂いたり、新聞記者の方ともお話をさせていただきました。
現場に行かないとわからないことなのですが、その場で感じた空気は、すごく温かいものでした。
もちろんジャーナリストや記者の方はフェアな状態で今回の取材をされています。
傍聴に来られた方は、決して山上徹也被告を責めようとか思っているわけでもなく、多くの方が山上被告のことを心配し、励ましていたのが印象的でした。
言い方を選ばないとしたら…重大事件を起こしているにも関わらず、ここまで多くの方に愛された被告は見たことがない…という一言に尽きます。
言い換えれば、それぐらい国民にとって、政治に対する非感や不満があったとも言える国民の感情が象徴された裁判でした。
傍聴券を求めて、北海道や東京からも来られていて、ほとんどの方が減軽を求めており、逆に18日に検察官が提示する求刑に対して、またもや署名運動が始まってしまうのではないか…というぐらいの空気の温度感。
そしてみんなこの裁判のおかげで、私も含めて殺人に対しての求刑量刑もばっちり勉強されておりまして…
永山判断基準といういろいろな基準がある中で、初犯で1人の殺人では5年から20年の有期刑、執行猶予は基本3年以下の懲役に発生するので今回は実刑判決になることは間違いだろうと見ています。
今回の大きな争点、発射罪はどうなるのかな…と思いますが…
大物政治家であっても、量刑に重ねないでほしいと思っております。命の重さは、どんなに偉い公人の方でも、最後はオムツをつけて、他の方と同じように亡くなるのですから…公人であっても、有名人であろうと…無期懲役囚であっても人の最期の形は同じ。そこに差をつけることこそ権力の横暴だと感じてしまいます。
どうなるのかな…と思っていますが、報道では言われない部分。
山上被告は本当に今回誠実に…律儀に質問に答えていたようで、『そんな質問をするの?』ということでも、真摯に答えていたとのことでした。
傍聴された方はみんなそれをいう…。そして手製銃に関しては『よくこんなものを作ったな…』とみんな感心。
火薬の製造が1番難しいようで、そこは私もよくもここまで無事故で来れましたね…と感心してしまうくらいでした。
今回の初公判から傍聴された方のメモや各社報道されている質疑応答の内容をパソコンでまとめていまして…
まとめたら東京のジャーナリストの方や他の方も送ってほしい…ということだったので、今仕事の合間合間でずっとこの裁判の記事と向き合っています。
山上被告名言語録ができるのではないか?というくらい…今回の裁判の内容や証拠にも彼の印象的な言葉がたくさん…
記事まとめと山上被告語録のピックアップも依頼されたので、それもする予定です。
本当に今回の事件、あってはならない事件でした。
どうやったら防ぐことができたのか…私もこの裁判を通して考えさせられています。
ただ思うこと。ひとつの重大な罪を背負いながら…彼なりに今後の人生生きなければいけません。泣いたり笑ったりしながらも人と対話し『生きている』ということを実感してほしい。そして罪を償って社会にもう一度出た時に、人の温かさを感じてほしい。こんなにも人は温かいのだと。
そんな社会にしていくことが、身近なところで事件が起こったひとりの住民、私の思うこと。
こんなにも温かく見守ってもらえる被告は少ない。それは山上被告のある意味人徳なもの。
おそらく刑務所に収監されても山上被告には多くの差し入れが届くのだろう…
彼はとても不器用で…繊細。そして自分のことを卑下して生きてきた1人に過ぎないと今回の裁判を通して感じたこと。
どうか彼が罪を償って社会に出た時に、寛大な心で私は受け入れたい。
そのためにも、毎日のように通る事件現場を通して、決してこの事件を忘れないようにするのが今の私にできること。
決してこの事件を風化してはならないと感じる。



